2011年4月17日日曜日

(個人的な)思い出のPCとのお別れ。

ずっと捨てられないので部屋の片隅に積んでいたのですが、もう起動しなくなってしまっている物を置いていても仕方がないので処分することにしました。
右がNEC PC-9821Ce S2。いわゆる98MULTiの2代目です。Canbeじゃないよ。
左がiiyama M500JS3。
PC-9821Ceはメモリ上限の14.6MBまで増設した上でAMDのAm5x86 P-75を載せていました。
このCPUは133MHzまで動作可能でしたがマシンのベースクロックが25MHzだったので4倍の100MHzまでしか駆動できませんでした。
それでもIntel 486SX 25MHzと比べると稼働速度が雲泥の差で銀河英雄伝説Ⅳを極めるのに非常に役に立ちました。(なんだそれ)
Powerd by 586のステッカーが誇らしげです。
ちなみにCeの後継機Ce2にはCPUの載せ替え用ソケットが無く、買った人がかわいそうでした。

このマシンで初めてPC-UNIXに触れました。FreeBSD(98) 2.0.5を何とか使おうとして色々やっては挫折して半年後に入れ直したりしていたマシンです。
CLIに全然抵抗がないのはこのマシンのおかげです。

豪華なマシンでSCSIインタフェースまで内蔵しているのですがNECチェックがあってNEC製の機械しか接続できなかったりと、メモリの上限と共に色々とPC-98黄金時代を感じさせるマシンです。
大学に入ってすぐに買ったのがiiyama のM500JS3です。
Windows 98 Second Editionが入っていたのでそれを使っていましたが、しばらくするとまたFreeBSDを触りたくなり挑戦しようとしました。しかし、内蔵グラフィックがIntel i810だったため(正確に言うと810DC100)当時のFreeBSD用X Window Systemでは使用できなかった(今は常識ですが当時はまだ内蔵グラフィックタイプが少なかった)ためにFreeBSDをあきらめました。

がっかりしていたらTurbolinux 4.2がagpgartモジュールに対応したためFreeBSDから乗り換えていじくり回した後で、次にKondara MNU/Linux 2000を入れて遊びまくりました。

このパソコンでなくFreeBSDで使えるPCIのグラフィックカードが載っていたマシンを買っていたらLinuxの世界に入り込むことも無かったでしょうね。

内蔵グラフィック以外は癖が無くてCeleron 500MHzが頼りない以外は非常に使いやすいマシンでした。

ブラウン管ディスプレイメーカとして有名だったためセットだったCRT(iiyama A702H)は今思うと巨大でしたが非常に綺麗な写りで本体が引退した後も使っていました。

懐かしい思い出はあるけれど、いつまでも残しておく訳にもいかないし。
両方とも5年以上使った思い出深いマシンですが、さようなら。